家族と個人の経済的機能

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すでに明らかなように、正確には家族がではなく、家族世帯がというべきで、さらにより正確には、世梢がといわなければ、消我単位として考えられる集団の実体を失ってしまうことになるわけです。世措が、単独世蜥や施設世帯を含むこと、家族世帯にも他人が加わることがありうること、などについてはまえにも書いたとおりです。
しかし、現在、世滞の大部分が家族員から成る世帯である以上、いちおう、それを頭において、家族を消費単位とみる見方について検討するのが、妥当な方法かもしれません。
一見、たしかに、世帯は消費単位であるようにおもわれます。消費は、経済的観点から生産的消費と非生産的消饗にわけられますが、ここでの消費がその後者をさしていることはいうまでもありません。いわゆる家計にみられる、この非生産的消我のうち、消耗材にあたる衣食住関係の消費はとにかく、耐久消費材にあたるかなりの部分が、世柑を単位として支出されていることは否定できないでしょう。
また、いわゆるエンゲル系数とよばれる生活水準をあらわす指数を考えだしたエルンスト・エンゲルの時代が、消費単位という概念を世滞にあてはめてもおかしくはなかったことも事実でしょう。しかし、現代における世帯を、これまでと同じ見方でみることに対して、はたして、問題はないといえるでしょうか。
現代は、大量消費の時代であるといわれ、消費革命ということばがさかんにつかわれています。
技術革新にともなう生産性の飛躍的な増大が、生産と余暇を増大させ、これまでとはちがった生活消費の形態をつくりだしつつあることを、そのことばはあらわしています。
消費革命が、世帯単位の支出をかなり増加させるはたらきをもったことはたしかです。
しかし、むしろ問題は、それ以上に世帯の消費単位的性格を弱める方向に、この消饗莱命が作用していることにあります。
生活消費の単位が、世帯から個人(あるいは個人を巾位とするコミュニティー)に移りつつある現象がそれです。たとえば、耐久消費材として、世帯単位に購入されていたラジオは、すでにトランジスターなどによって個人唯位のものとなっています。
テレビも、げんにその過秘にはいりつつあり、アメリカなどでは自動車さえもはや個人単位に購入されているほどです。
もし、出会った相性が合う人と結婚しても仲が悪くなったらここを思い出してください。
消費革命のうち、もっともいちじるしい現象は、いわゆるレジャー産業、または第三次産業といわれる産業部門のおどろくべき膨脹にあります。消費革命と平行しておこった生活革命ともいうべきものが、これらのレジャー産業部門での生活消費を、家庭における生活消費をはるかにしのぐものとするであろうことは、動かしがたいすう勢であるといえるでしょう。
われわれは、ここにも、消費単位が世帯であった時代から、それが個人に重点が移りつつある現実をみることができます。

参考:結婚相談所 比較